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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/156

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の實なるものは唯だ塞充せるもの即ち有なるものなれば其の自體に虛空即ち非有を容れず。故に此の無數の實なるものの各個は更に分割されず、分割さるゝは虛空を容るゝなり。而して又有の有なる所は唯だ充實すといふ點にあれば凡べての有なる(即ち實なる)ものの間に性質上の差別のあるべきやうなし。斯く有は性質上平等一如にして更に分割すべからざるものなりと見たる點に於いてはアトム論者はエレア學徒にしてエムペドクレース、アナクサゴーラスは然らず、所謂元素も種子も性質上有差別にして且つ其の量に於いて無窮に分割せらるべきものなれば也。デーモクリトス曰はく、若し絕對に(即ち限りなく)分割し得ば少しの分量をも、隨うて何物をも遺さざるに至らむと。斯く幾分の量はありながら而も不可分なる單元をアトマ(άτομα)と名づく、分かつべからざるものといふ義なり。この故にアトムは猶ほパルメニデースの所謂を粉碎したらむが如きもの也。(アトムはこゝに元子と飜すべし。)

《アトムの性質。》〔四〕アトムは生ぜず滅せず變化せず。實有なるものの生滅變化することなしといふの點はエムペドクレース、アナクサゴーラス、及びアトム論者の共に固くエ