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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/147

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るものなり。殊に大地を宇宙の中央に靜坐すと見ずして他の天體と共に同一中心を廻轉すと見たるが如き、大地の形を球と見たるが如き、又其の廻轉を以て夜の生ずる所以を說明せむと試みたるが如き、一大進步といはざるを得ず。

ピタゴラス學徒は全世界の生起即ち其の太初あることを說けども其の終に壞滅する時期あることを說かざりしが如し。但し彼等(少なくとも其の或者)は宇宙の變遷に大曆あること、換言すれば其の狀態の往復循環することを說けり。以爲へらく、諸天體その曾て有りし處と全く同位置に立ち還る時あり、而して其の時に至れば世界の事細大共に悉く前時と全く同一狀態に復歸し、それよりまた以前と同一の變遷を繰りかへすべしと。

《輪廻說。》〔八〕前述の循環說と關係あるは此の學徒の最初より說きたりと思はるゝ輪廻轉生の說なり。以爲へらく、靈魂肉體に宿れる間は之れを知覺の具として用ゐれど一たび肉體を脫すれば上界に往きて形骸の繫累なき至福の生涯を送るを得、但しこれは現世に於いてかゝる幸福を享くるに足るべき行爲をなしたるものに限る、然らざるものは再び世上の生活に繫がるゝか若しくはタルタロス陰府に墮