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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/142

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たりしならむ。斯くピタゴラス學徒が萬物を成すと見たる數は吾人の今日所謂數即ち抽象的のものを意味すと考ふる史家あれど、こは疑はし。寧ろ彼等が物體の成り立ちを考ふる時には數を空間と相離さず空間を占むるの點と其れとを同一視したりしが如し。《*之れを否む史家あれど。》ピタゴラス學徒が夙くより數學の硏究に心を用ゐたりしことは其が哲學なる數論を構成するに至りし原因の少なくとも一なりしならむか、而して當時の數學は專ら幾何學なりしを思へば彼等が數を謂ふ時これを空間上のものとして云ひしも敢て怪しむべきことに非ず。如何なる數も皆一を以て成り而して其の一(即ち單一なるもの)によりて物體の構成せらると彼等の云ひし時には專ら空間を占むる單一なるもの即ち點を眼中に置きしならむ。彼等はを名づけて數の本數の父と云へり。約言すれば彼等は諸物體皆單一なるもの即ちを以て成れりと思惟せしならむ。(或史家の見によればエレア學派のヅェーノーンの攻擊は專ら此のピタゴラス學徒の說に向かへるものなり。)

《二元論の一面。》〔四〕斯く個々の點相合して物體をなすと見ることと、早くより此の學徒間に行はれたりきと思はるゝ二元論と相結ばれたり。諸數は皆一を以て成れるものな