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へらく動物のみ知覺を有するにあらず植物亦之れを有す、否如何なるものも多少の知覺を有せざるはなし、物皆知あり識ありといへり。尙ほ物は同類によりて知覺せらるといふ意を述べて曰はく「吾人は地を以て地を見,水を以て水、アイテールを以てアイテール、火を以て火、愛を以て愛、爭を以て爭を見る」と。視覺は外物より來たる微部分の眼に達するとき眼中の火及び水が其の細竅より發出して二者相逢著するに基づく。吾人の身體の成分と其の類を同じうするものは吾人に快感を與へ其の類の相反するものは嫌惡の念を起こさしむ。欲し求むる心は同樣の物質相牽引するに生ず。吾人が知力の特に存する處は血液なり、血液は諸元素を包合するが故に如何なる外物にも應接することを得。斯くの如くエムペドクレースはパルメニデースと共に物は其の同類によりて知覺せらると說きしが又彼れと共に感性と理性とを相別かちて吾人に眞理を知らしむる者は理性なりといへり。

《輪廻轉生の說。》〔九〕曩にも陳せし如くエムペドクレースは輪廻轉生の說を爲し又ピタゴラス盟社に於けるが如き信神禮拜を說きたり。吾人の靈魂は其の爲せる善惡業に