コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu03.djvu/114

提供:Wikisource
このページは校正済みです

傳はれゝど、要するに民主黨の爲めに力を致したりしに竟に平民の歡心を失うてペロホネッソスに遁れそこにて其の生を終へぬといふが最も眞なるに近し。「ペリ、フィゼオース」幷びに「力タルモイ」といふ二篇の述學の詩を作れり、今尙ほ幾多の部分を存す。或は、これは二篇の詩にあらずして一篇の二部分なりと考ふる學者もあり。想像豐富、語調頗る壯高なり。

《萬物は四元素の離合によりて成る。》〔二〕嚮にパルメニデースは生滅變化といふことを拒否して有が無となり無が有となることなしといへりしが、エムペドクレースが思索考究の根據となしゝ所亦實にこゝにあり。眞に有りといはるゝものの滅し去り、又無きものの生じ來たることある可からずと唱へし點に於いては彼れはまさしくエレア學の根本的思想を繼紹せし者也。されど彼れはエレア學派の如く全然差別變化を否むことをせず、むしろ吾人の眼前に諸物の種々なる形を取りて出沒變化するは疑ふべからざる事實なりと考へ、此の事實と眞に實有なるものの常恒不變なるべき事とを調和せむとするが彼れの思索の大主眼なりき。彼れ說を立てゝ曰はく、諸物を形づくる元素は毫も生滅增減變化せず、然るに諸物の成壞變動するは只だ不變化不生滅なる