Page:Onishihakushizenshu03.djvu/112

提供:Wikisource
このページは校正済みです

化は迷誤に外ならずと斷じたり。これ一元的思想を其の極端まで論理的に推窮したる結果なり。宇宙を一元より成れりと見而して其の一元を物體的のものと見ば如何にしても變化又生滅といふことを否まざるを得ざるべし。さて此くタレース以降の一元論はパルメニデースに至りて頂點に達したりしが其の勢つひに一轉して多元論を誘起し來たりぬ。エレア學說にいふが如く變化雜多を以て單に吾人の迷誤となさむは難し。パルメニデースは單に之れを五官の迷妄といへど何故に五官の迷妄の起こるかを說明せざるなり。されば打ちつけに 拒否することをせずして寧ろ吾人の實驗する所なる變化雜多の生起する所以を說明せむとせば如何なる立塲たちばを取るべきか。ミレートス學派以來の定說なる一元論に代ふるに多元論を以てせば如何に。萬物悉皆一元と說くが故に雜多と變化とを否まざるを得ざるにはあらずや。多元を說かば實有の生滅を否むエレア學の大思想を許してこれに立脚しながら其の學の奇怪なる結論を脫し得べからずや。こゝに於いて一元論極まりて多元論に轉じたる也。エムペドクレースは即ち此の多元論に其の立脚地を置きし最初の人なりき。