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多からぬ人數を方々へ懸て火を防がせ、道具の支配を致させ、色々の事につかひては、何の方の間もあはず、死傷の者多く出來るより外有まじ、縱千金をのべたるものなりとても、輕き人間一人の命にはかへがたし、此等の類みな上たる者に勘辨なく不裁許より起る事也。

 數萬人の支配する者を初、千人百人の主、五人三人一僕召仕ふ輩に至迄、能々下の情に通達し、萬事の行渡り夫々の所作をも自分にて仕て見せずしては叶ざる事也、貴人は暑氣の時分は廣く凉き所に住居し、食物も淸く心に叶たる者を食し、寒氣の時は衣服暖に着る上に、火燵にあたり火鉢を置、夜具幾重も重ね、美味の暖か成るを飽まで食し、他出する時は馬駕籠に乘り、供廻り大勢召つれ何一つ欠ける品なし、中より以下の者は其品少しづゝ替れども、常々の心の外に義理をかき、晝夜くるしみ斗にて暮し、下々に至りては衣服食物を始、詞にのべられぬ不便のみなり、齊の管仲が衣食足りて禮節を知るといへるは古今の名言なるよし、故に能下のうるほひを知ずしては、何程慈悲の心有ても、推量の分にては中々とゞかぬ事也、萬の仕方存ずしては物を申付樣まで相違する子細は、北條氏政野陣をせられし時、百姓共麥をかりて持行を見、あの麥にて押付、麥食を拵出せと申されし一ケ條にて、大きに見おとされて終には國を失ふたり、氣を付ざれば斯の類不斷の事也、乍去、下々の情によく通じ、物の價までも知る樣に成て、却て下の痛苦みに成るもあり、これ等は元來不仁私欲甚敷、自分奢を極め、邪惡より起て慈仁の本意より出ざる故也。