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Page:Onchiseiyō.pdf/14

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 人間は貴賤に不限、命長からずしては何事も成就する事なし、聖賢の敎戒、千萬年の後迄尊び用られ、文武の明君、國天下をたもち長久の基を開き給ふも、是壽命長きよりなりと仰らるゝ事也、士農の相應に本意を達し、諸藝者の上手名人になるも年月久敷積り怠らぬ故なり、今日國を治る者、人の爲利益ある事にても、急拵たる義は衆人の心騷ぎて服せずして、存樣にならぬもの也、そろと年數を掛りて、篤と熟すれば、隅々迄も滯りなく、自然と風俗も宜、いつ迄も持こたへ、後々は法度の世話なくても濟やうに成べき也、人のいたみ難義の筋は、速に改直し、公事沙汰、願訴訟並日用の取扱の義は、食を喰間も遲々せざる樣にと存ぜずしては指支のみにて、人の迷惑甚敷、無益の費も出來る事也、前に井の中へ踏はづしはまりし者有し時、近所の者共井の際へ立集り、色々と相談し、古例など考へて居る內に、其者はれふくれて死し、後までの笑ひ種となりしと聞及たり、理に暗くて片意地に覺へたる上には、此等の類如何程も有べき事なり。

 改直す事よいと斗り心得ては、又々大きなるたがひ必出來る事也、勝れたる事もなき品を思はず生じ、國法も輕々しくなり、手厚き事もなきやうに成行べし、とかく我一人の思慮分別斗りにてはあやうき事なれば、諸人の智を執行ひ、理非問答の能輔佐なくしてはならぬ事也、百姓町人風情さへ、能子あるか、能手代を持たる者の萬事はかの行にて知るべし。

 上より下に至る迄、私を捨て、天理に叶ふやうにと朝暮忘るゝ間なく工夫すべし、暫も怠れば邪