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色勿論の事にて、和漢古今同也、中にも豁達に生付、才智有余の者に猶更ある事、此等の趣は心の融通より我非分を能知、人の異見に付き忽本心に立返り、勝れたる者になり、剩心のこなれ諸事に行渡り宜くて、何程のはれ成所作にても如何樣成役義用事にても、それに程よく勤、重寳至極の人にて畢竟改さへすれば、只今迄の誤り皆々學問に成事也、いつ迄もうかと何の味もなく、改る事も知ずして、一生を取失ひ候者は元來不才不智にして、惣て騷敷事をよく覺たる大うつけと云物にて、是等はよく目の利たる人も早速見て取事なり。

 大身小身共に人數不足しては、萬事に付て間もあはず、氣の毒成事而已、乍去、勘畧專一の時節故、隨分と不自由堪忍斗にて暮す事なり、尤召仕等程々より減少、歷々たる人は猶以其通りにて、五人の者は三人、三人の者は壹人にて役義を勤る樣に成たり、其中に吉凶又は大饗の折に人の多く入時分、外の役の者をそれに仕ひ埋させ、彼是とすれば、大方に間も合やうになる者也、唯火事の節急成折思慮する間もなき時分、人數少くしては何程働ても中々手のとゞかぬ事也、其上平生何千何百と積り置ても病人數多あるか、又は私用の爲他行するもの有て、存の外廿人三十人有と思ふ所へ、纔に五人十人ならでは遣事ならぬ樣成義、必ずある事也、さあればとて其爲斗りに拵置事も、平生は無益の樣に思はるゝなれば、常々の覺悟を能致し、風烈しき日には別て用心堅固にして、土藏等兼てより丈夫に修復し、あはて騷ぬ樣に心得、有り合人數を隨分火表に立廻し防方見る樣にあり度もの也、