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 門七は其の頃熱心に自殺に就いて話した。併し、信吉には、そのやうな問題は、差し當の餘り必要はないものと思はれた。彼はまだ自分を、それほど、ぎりぎり決着の土壇場に陷ちたものとは思へなかつた。今すぐ解決しなければならぬ問題など、一つもなく、中途󠄂半󠄁端な煮え切らぬ、もやもやとした不安が、意識出來るだけで、それを解剖して、一つ一つ俎上にのせ、料理するだけ、まだ整理されてゐないのだつた。といつて、その事を素直に肯定するだけの餘裕は、彼にはなかつた。何かと自慰めいた言遁れを考へ出すのだつたが、その劣情󠄁もすぐ顧󠄁みられ、忸怩たる思ひを秘かに嚙みしめ、自虐󠄁に似た快感を味ふことさへあつた。


 院內特有の速󠄁早い噂によつて、彼の末妹が入院して來たことを聽かされた時、信吉は、何か非常に空󠄁恐ろしい運󠄁命的󠄁なものを感じたのである。そして、今眼前󠄁に門七と雪󠄁子とを認めた信吉は、まるで重大な祕密の席上を垣間かいま見る時のやうな、或る不安と、灼きつくやうな探査の眼とを感じてゐた。信吉はじつと息を殺し、彼に發見されないやうに木蔭に身を潜めた。

 唄ひ畢つた門七の顏を暫らママく呆んやり、何か待ち受け顏で、眺めたママゐた雪󠄁子は、何時迄も唄ひ出しさうにない彼の唇に、然その丸々と太った掌を持つていつた。そして門七が周章てゝ身を引くのを素早く、その唇を抓りにかゝつた。彼女の顏には實に滑稽な眞劍味が泛んでゐた。門七は顏一杯に微笑を綻らママばせて、柔かくその手を拂ひのけ、「よし、よし」と頷いてみせた。彼女の要求が彼には嬉しいのであらう。

 やがて、彼は靜かに唄ひだした。心持ち仰向いたその眼眸まなざしは遠く虛空󠄁に注がれ、色々に變化する唇は、艶々としたその色と相俟つて雪󠄁子を宇ママ頂天にしてしまつた。そして尙、傍で一心に聽き入つてゐる雪󠄁子を識つて、彼の心は例へやうのない欣びで一杯になり、それは、やがて凡てを忘れた、唄つてゐる自分も、聽いてゐる雪󠄁子もゐない、只底低く顫えを带びて靜かに流れるメロディーだけが、生あるものゝ如く、呼吸づいて、四邊一杯に充ち溢れていつた。

 雪󠄁子は、ぽかんとその可愛いゝ唇を開け、その眼は、歌詞につれて色々に變化する彼の口邊を眤つと見詰めてゐた。

 細く餘韻を殘して、彼は唄ひ熄んだ。纔かの間、深い沈默があらゆるものゝ上に掩ひかゝつた。がすぐその靜寂は、雪󠄁子の鈍狂とんきやうな叫び聲に被られ、彼はまた「もつと唄へ」と門七の唇を抓りにかかつた。言辭をあやつれない雪󠄁子の、その舉動は、見てゐるは酷󠄁く憐憫の情󠄁を催させるものがあつた。

 彼は暫らママく輕くその手をあしらつてゐたが、そのうち眼についたらしい草花を一輪摘んで、雪󠄁子の前󠄁に出した。すると彼女の關心は凡てその方に奪はれ、渡された花への興味で雪󠄁子はそれを弄