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 門七が妹に對する不滿を母に當てると、四十にはまだ二三年間のある彼の母親は、氣弱󠄁い、おどおど聲で、それでも勵ますやうに言ひ分ママけをするのだが、

「ぢや、俺も學校󠄁へなど、やって貰はなくてもいゝ。」

 と駄々を捏ねる門七に、母は、もう泣き出すのだつた。

 末の妹は全󠄁くの白痴だつた。生れて間もなく腦膜炎を患ひ、幸ひ生命は取りとめたものゝ、それ以來、全󠄁くの廢人になつてしまつた。

 門七にとつて、一番屈辱に思はれるのは母の態度だつた。彼女はまるで下婢のやうに、朝󠄁から晚まで働き通した。そして出入りの商人からまで、そのやうな態度で接しられることに對して、平氣でゐられる母を、門七は恨めしくも又󠄂情󠄁なく思ふのだつた。なんといふ屈辱だらう。卑下の仕方なのだらう。さうまでして叔父󠄁の歡心を得なければならないのだらうか。それ程󠄁までにしても、俺は擧校󠄁へ行かなければならぬだらうか。

 門七にも、母の氣持は分り過ぎる程分つてゐた。倂し、いくら分つても、其の事は彼にとつて堪らない屈辱であることに變りはないのだ。彼の憤懣は次第に內訌して、徐々にその型は變貌していつた。彼が文󠄁學や哲學に味を覺えたのもその頃で、中でもプロ文󠄁學は彼の趣向を極度まで行きつかせてしまつた。會運󠄁動のなんであるがママ、朧ろ乍らも彼の對象となりつゝあつた時、彼は發病した。

「俺は、癩病など、少しも不幸だとは思はない。」といふ彼の言葉も、あながち高踏だとは言へなかつた。

 がそのうちに、療養所󠄁の生活に必須なる、激烈な麻󠄁痺性、執拗な中毒性を感じ始め、その怖ろしさを信吉に話すやうになつてから、門七は徐々に、今迄掩ひ隠󠄂してゐた性格の或る面を露骨に現はすやうになつた。それは長い歲月󠄁に亘つて彼の內部に培はれて來た、厭人的󠄁傾向、孤獨趣味、又󠄂人に對して冷笑白眼する强い性格だつた。

 彼は會合へも顏を出さなくなり、體の調子も餘りよくなく、經痛などに時々罹るので仕事も罷めてしまつた。

 門七が餘り出步かないやうになつてからも信吉はよく、彼の部屋へは出懸けてゆき、消󠄁燈したのも忘れて談笑した。

「俺は、いつも言ふが、癩病が少しも恐ろしいと思はぬし、又󠄂嫌でもない。只厭なのは癩病だといふ意識なんだ。此奴は實に恐ろしい。いくら人間が威張つて見た所󠄁で此奴にかゝつたら一たまりもなくまいつて了ふよ。一人の人間を土臺から引つくり返󠄁してしまふんだ。」

「俺は義足や盲目になんとも思はぬ。只俺が失ひたくないのは、足や眼ではなくて、『俺は人間だ』といふ一つの觀念だけだ。これだけは死ぬるまで失ひたくないよ。」