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 誰か人に出會つた時など、門七の貌には、それとなく匿してはゐるが、慥かに羞恥と憎惡の表情󠄁が現はれる、そして挨拶もそこに立ち去つてゆく、等々の事を聞かされる每に信吉は、成︀程󠄁と分つたやうに頷き、門七の氣持も推察出來、同情󠄁を寄せたりするのだつたが、信吉は後になつて、その淺薄な理解を酷󠄁く恥ぢなければならなかつた。

 雪󠄁子が入院して以來、面と向つて門七と話す機會のなかつた信吉には、不自然にも、雪󠄁子に對する好奇心を露骨に現はして、門七に接近󠄁することは、何か氣がとがめ、今迄何んでもなく遊󠄁びに行けた門七の部屋へも、自然と行きにくゝなり、偶に顏を合はせても、深く立ち入ることが出來ず、竟、雪󠄁子が來てから旣に一月にもならうとする今日まで、彼は自分の欲求を滿足させることが出來ないでゐた。そして信吉はただ人の噂話により、門七が酷く變󠄁つた人間になつたなどといふことを識つたのみで、ぷす燻つてゐる內心に焰を消󠄁すまでもなくかき立てるでもなく、漫然と取りとめのない日を過󠄁してゐた。


 信吉と門七とが相識つてから、もう三年になる。門七は信吉から約一年遲れて、此の療養所へ入院して來たのであるが、來て半󠄁年程󠄁してから、信吉の働いてゐた印刷所󠄁へ出ることになり、それ以前󠄁にも逢へば輕い挨拶位交󠄁してはゐたが、親しく話すやうになつたのはそれからであつた。

 信吉は門七と親しくなるにつれ、彼の複雜なる顏の表情󠄁には酷󠄁く愕ろかされた。彼は決して只一つの感情󠄁を現はすといふことがなかつた。その顏には、常に二つの相反する、全󠄁然違󠄁つた表情󠄁が交󠄁互に現はれ、それが實に微妙に銳く交󠄁錯するので、少し迂濶にしてゐると、圖方もなく間の惡い眼に逢はされるのだ。

 彼の相貌は決して特異なものではなかつた。き出た顴骨の下は、段がついて落ち凹み、そのまま、削󠄁つたやうな頣までの線、滅多に櫛も入れぬ蓬髮、それもちゞれ毛なので左程󠄁醜いものではない。廣い額の下に細いよく色の變る眼、顏の割合に大きく岩ママ丈󠄁な鼻柱と幾分空󠄁を向いた鼻孔、厚ぼつたい艷々した唇はやゝ受け口になつてゐるが、しかし、白く透󠄁き通る皮膚の色に、處々這つてゐる靜脉の靑く浮󠄁きあがつて、全󠄁體としては、靜かな、おつとりした感じを與へてゐた。

 彼は絕えず、その情熱的な唇に微笑を湛え、細い眼に柔和な色を見せて初對面の人には應對するので第一印象が大好いのである。が鳥渡狎れしい態度で話しかける途󠄁端、その細い眼は銳い詰問と蔑の矢に變り、唇の微笑は嘲笑となり、相手を酷󠄁く、どぎまぎさせるのを信吉は識つてゐた。そして信吉には分つたやうな門七の正體が、段々時が經つに連󠄁れ判󠄃らなくなり、ぞつとする恐怖を感ずることもあつたが、牽かれる强い魅力だけはぐん增してゆくのだつた。

 二人の交󠄁遊󠄁は、一時消󠄁滅してゐた創作會が新らママたな會員によつて再組織され、二人共そのグルー