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Page:Naobinomitama4.pdf/7

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て彼國は、事ゴトにあまりこまかに心をツケて、かにかくにアゲツラひさだむる故に、なべて人の心さかしだちワロくなりて、中々に事をしゝこらかしつゝ、いよゝ國は治まりがたくのみなりゆくめり、されば聖人の道は、國を治めむために作りて、かへりて國を亂すたねともなる物ぞ、すべてナニわざも、オイらかにして事タリぬることは、さてあるこそよけれ、カレ皇國の古は、さる言痛コチタき敎ナニもなかりしかど、下が下までみだるゝことなく、天下はオダヒに治まりて、天津日嗣いや遠長トホナガに傳はりマセり、さればかの異國の名にならひていはゞ是ウヘなきスグレたるオホき道にして、マコトは道あるが故に道てふコトなく、道てふことなけれど、道ありしなりけり、そをことしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ、言擧コトアゲせずとは、あだし國のごと、こちたくイヒたつることなきを云なり、タトヘザエナニも、すぐれたる人はいひたてぬを、なまのわろものぞ、返りていさゝかの事をも、ことしくイヒあげつゝほこるめる如く、漢國カラクニなどは、道ともしきゆゑに、かへりて道道ミチしきことをのみ云あへるなり、儒者ズサはこゝをえしらで、皇國をしも道なしとかろしむるよ、儒者のえしらぬは、萬カラタフトき物に思へる心は、なほさも有なむを、