コンテンツにスキップ

Page:Naobinomitama4.pdf/6

提供:Wikisource
このページは校正済みです

いふこそをこなれ、そも後人、此道のまゝに行なはゞこそあらめ、さる人は、よゝに一人だに有がたきことは、かの國の世々のフミどもを見てもしるき物をや、さて其道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義禮讓孝悌忠信などいふ、こちたき名どもを、くさ作りマケて、人をきびしく敎へおもむけむとぞすなる、さるは後世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや、またヤクなどいふ物をさへ作りて、いともこゝろふかげにいひなして、天地のコトワリをきはめつくしたりと思ふよ、これはた世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ、そも天地のことわりはしも、すべて神の御所爲ミシワザにして、いともタヘクスしく、アヤしき物にしあれば、さらに人のかぎりあるサトりもてはハカりがたきわざなるを、いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ、然るに聖人のいへる言をばナニごともたゞコトワリ至極キハミと、ウケたふとみをるこそいとオロカなれ、かくてその聖人どものしわざにならひて、後々ノチの人どもゝ、よろづのことをオノがさとりもておしはかりごとするぞ、彼國のくせなる、大御國の物學びせむ人、コヽをよく心得をりて、ゆめから人のコトになまどはされそ、すべ