ち滅し給ふ物ぞ。
千萬御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とまし〳〵て、
御世御世の天皇は、すなはち天照大御神の御子になも大坐ます。故天つ神の御子とも、日の御子ともまをせり。
天つ神の御心を大御心として、
何わざも、己命の御心もてさかしだち賜はずて、たゞ神代の古事のまゝに、おこなひたまひ治め賜ひて、疑ひおもほす事しあるをりは、御卜事もて、天ツ神の御心を問して物し給ふ。
神代も今もへだてなく、
たゞ天津日嗣の然ましますのみならず、臣連八十伴緖にいたるまで、氏かばねを重みして、子孫の八十續、その家〻の職業をうけつがひつゝ、祖神たちに異ならず、只一世の如くにして、神代のまゝに奉仕れり。
神ながら安國と、平けく所知看しける大御國になもありければ、
書紀の難波長柄朝廷御卷に、惟神者、謂㆓隨神道亦自有神道㆒也とあるを、よく思ふべし。神ノ道に隨ふとは、天ノ下治め賜ふ御しわざは、たゞ神代より有リこしまに〳〵物し賜ひて、いさゝかもさかしらを加へ給ふことなきをいふ。さてしか神代のまに〳〵、大らかに所知看せば、おのづから神の道はたらひて、他にもとむべきことなきを、自有㆓リ神ノ道㆒とはいふなりけり。かれ現御神と大八洲國しろしめすと申すも、其ノ御世〻〻の天皇の御政、やがて神の御政なる意なり。萬葉集の哥などに、神隨云〻とあるも、同じこゝろぞ。神國と韓人の申せりしも、諾にぞ有リける。
古ヘの大御世には、道といふ言擧もさらになかりき。
故レ古語に、あしはらの水穗の國は、神ながら言擧せぬ國といへり。
其はたゞ物にゆく道こそ有リけれ、
美知とは、此記に味御路と書る如く、山路野路などの路に、御てふ言を添たるにて、たゞ物にゆく路ぞ。これをおきては、上ツ代に、道といふものはなかりしぞかし。
物のことわりあるべきすべ、萬の敎へごとをしも、何の道くれの道といふことは、異國のさだなり。
異國は、天照大御神の御國にあらざるが故に、定まれる主なくして、狹蠅なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし取つれば、賤しき奴も、たちまちに君ともなれば、上とある人は、下なる人に奪はれじとかまへ、下なるは、上のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに仇みつゝ、古ヘより國治まりが