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たくなも有ける。が中に、威力イキホヒありサトり深くて、人をなつけ、人の國をウバひ取て、又人にうばゝるまじきコトバカリをよくして、しばし國をよく治めて、後のノリともなしたる人を、もろこしには、聖人とぞ云なる。たとへば、ミダれたる世には、タヽカヒにならふゆゑに、おのづから名將ヨキイクサノキミおほくいでくるが如く、國の風俗ナラハシあしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世〻にそのすべをさま思ひめぐらし、ならひたるゆゑに、しかかしこき人どもゝいできつるなりけり。然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからにクスしきイキホヒあるものと思ふは、ひがことなり。さて其聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる。かゝれば、からくにゝして道といふ物も、其ムネをきはむれば、たゞ人の國をうばゝむがためと、人にウバはるまじきかまへとの、二にはすぎずなもある。そも人の國を奪ひ取むとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、ヨキことのかぎりをして、諸人モロビトをなつけたる故に、聖人はまことに善人ヨキヒトめきて聞え、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづオノレからその道にソムきて、君をほろぼし、國をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず。いともいともあしき人なりけり。もとよりしか穢惡キタナき心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、後人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことには一人もマモりつとむる人なければ、國のたすけとなることもなく、其名名のみひろごりて、つひに世にオコナはるゝことなくて、聖人の道は、たゞいたづらに、人をそしる世〻の儒者ズサどもの、さへづりぐさとぞなれりける。然るに儒者の、たゞ六經などいふ書をのみとらへて、彼國をしも、道タヾしき國ぞと、いひのゝしるは、いたくたがへることなり。かく道といふことを作りてタヾすは、もと道の正しからぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ。そも後人、此道のまゝに行なはゞこそあらめ、さる人は、よゝに一人だに有がたきことは、かの國の世〻のフミどもを見てもしるき物をや。さて其道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義禮讓孝悌忠信などいふ、こちたき名どもを、くさ作りマケて、人をきびしく敎へおもむけむとぞすなる。さるは後世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや。またヤクなどいふ物をさへ作りて、いともこゝろふかげにいひなして、天地のコトワリをきはめつくしたりと思ふよ。これはた世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ。そもく天地のことわりはしも、すべて神の御所爲ミシワザにして、いともタヘクスしく、アヤしき物にしあれば、さらに人のかぎりあるサトりもては、ハカりがたきわざなるを、いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ。然るに聖人のいへる言をば、ナニごともたゞコトワリ至極キハミと、ウケたふとみをろこ