271 272
(7)戒禁によりても、又(8)多聞によりても、又は得定、獨臥によりても、聖者の享べき出離の樂に觸るることなし、比丘、漏盡に達するなくして自恃すること勿れ。
(1) 僅にても聞きては、法に隨ひ、義に隨ひ、大法小法の依行者となり、身に苦等を知りて、四聖諦を見ると解せり。 (2) 比丘には種々の義あれど、中に乞人、乞士等と譯し、他に食を乞ふものゝ義ありとなす。 (3) 權ははかり、衡はおもりなり、權衡を取りて物を量らんとするものは、多きに過ぐれば取去り、少ければ更に加ふ、惡を棄てて善を取るも亦斯の如し。 (4) 勝法とは戒定慧解脫解脫智見を云ふ、此の蘊等の世界に於て、衡を擧げて度るが如く、此等は內蘊なり、此等は外蘊なり等、斯の如の法により、兩義共に量るを云ふ。 (5) 內外上下等の別を知るの意。 (6) 聖者の原語、Ariya の aria には「敵」の意あり、故に生命を害ふ云云と云ふ。 (7) 四作淨戒又は十三頭陀行を行ふを云ふ。 (8) 三藏學を習するを云ふ。
道品第二十
273
(1)八道は道の最妙、(2)四句は諦理の最上、離欲は法の最勝にして、(3)具眼者は兩足中の最尊なり。
274
知見を淨くするの道は此〔の道に〕外ならず、汝等是の道を踏め、是れ魔を困惑するものなり。
275
汝等此の道を往けば、苦盡に達す、我は(4)除箭の〔法〕を知りて、汝等のために道を說きたり。
276
汝等のなすべきは努力なり、如來は說者なり、禪思の人にして〔此の道を〕往くものは魔の縛を脫る。
277
「一切行は無常なり」と、智を以て斯の如く知る時、苦界嫌厭の情起る、是れ(5)淨に入るの道なり。
278
「一切行は苦なり」と、智を以て斯の如く知る時、苦界嫌厭の情起る、是れ淨に入るの道なり。
279
「一切法は無我なり」と、智を以て斯の如く知る時、苦界嫌厭の情起る、是れ淨に入るの道なり。
280
起つべき時に起たず、若く、强くして、怠惰に陷り、意志思想弱くして事に懶きもの、斯る逸者は智の道を