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Page:Kokuyakudaizokyo48.djvu/32

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ざるをり、他人たにんまじはり、加之しかのみならず飮酒おんしゆふける人、かれおいおのれ脚下きやくかる。

248 なんぢかくごとくして節制せつせいなきことは、邪法じやほふなることをれ、貪望とんまう非法ひほふと、ながなんぢおちいるなからんことを。

249 ひと信仰しんかうしたがひ、このところほどこしをなす、ひとあたふる飮食おんじきたいして不滿ふまんいだくことあらば、かれ晝夜ちうやじやうることなし。

250 かかおもひち、根絕ねだやし、つくせるもの、かれこそは晝夜ちうやじやうべけれ。

251 とんごときはなく、執著しふぢやくしんごときはなし、あみごときはなく、ながれあいごときはなし。

252 他人たにんくわ見易みやすく、おのれくわ見難みがたし、他人たにんくわは〔これひらくこと〕ぬかひらくが如くし、しかおのれの〔くわを〕おほふことは、いつはりある賭者としや骰子とうしかくすがごとくす。

253 くわもとめ、つね憤恚ふんいこころいだくものは、(3)益益ますますし、漏盡ろじんにはとほくしてとほし。

254 空中くうちうにはみちなく、沙門しやもんは〔佛法ぶつほふの〕ほかにはこれあらず、羣生ぐんしやう虛榮きよえいたのしみ、如來によらいには虛榮きよえいなし。

255 空中くうちうにはみちなく、沙門しやもんは〔佛法ぶつほふの〕ほかにはこれあらず、諸行しよぎやう常住じやうぢゆうなるなく、諸佛しよぶつには動著どうぢやくあるなし。

(1) 或は邪惡の法は垢なり。 (2) 九偈の註を見よ。 (3) 漏盡とは煩惱を盡すことにて、阿羅漢果に達するを云ふ、斯の如き人は煩惱を盡して阿羅漢果を得ること能はず。


法住品ほふぢゆうほんだい十九

256 ひとばうもつことけつする、かれこれによりて法住ほうふぢゆうひとたるにあらず、しやうじやともけつするものは賢者けんしやなり。

257 ばうならず、ほふにより、平等びやうどうみちびき、ほふまもらるる智者ちしや、〔かれぞ〕法住ほふぢゆうひととなへらる。