もの、此の人をぞ我は調御者と云ふ、他は唯手網を執るものなり。
223
怒は愛を以て克ち、不善は善を以て克つべし、吝嗇の徒には仁惠を以て、虛言の人には、實語を以て克つべし。
224
實を語れ、怒る勿れ、些にても求められなば與へよ、此の三事によりて諸天の所に到れ。
225
害意なき牟尼は常に身を攝して、(1)不死の所に到る。彼處に到りては憂ふることなし。
226
常に覺窹し、晝夜に勤學し、涅槃を得んと努むるものの煩惱は滅びん。
227
(2)阿偷羅、之は古くして、今出來れるものに等しからず、曰く「人は默して坐せるものを謗り、多く語るものを謗り、少く言ふものをも亦謗る、世に謗を受けざるものなし。
228
常に唯謗られ、常に唯讚めらるるもの、過去にあらざりき、未來になけん、而して今もあらず。
229 230
多智の人若し、行失なく、賢にして、智德〔具はり〕、定意あるものを、日日絕えず稱揚することあらば、閻浮提金の貨幣の如く、誰か此の人を謗り得んや、諸天も之を讃め、梵天も之を讃めん。」
231
身惡業を防護し、身を能く制せよ、身非業を棄てて、身に善業を修せよ。
232
口惡業を防護し、口を能く制せよ、口非業を棄てて、口に善業を修せよ。
233
意惡業を防護し、意を能く制せよ、意非業を棄てて、意に善業を修せよ。
234
賢者の身を能く攝し、更に口を愼み、意を制せる賢者は、これ能く防護せる人なり。
(1) 涅槃の意。 (2) 優婆塞の名なり、以下四偈は佛の此の優婆塞を敎へ給ひし時の偈なり。