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の靈位に對する信念は自家の遠祖に及び、更に一族の共同祖先に及び、遂に大祖先たる皇祖にも及ぶ、之れ等を總括したるものは渾然たる我神道の根本たり。

或は祖先崇拜を以て報本反始の儀禮に過ぎずとなす、之れ神道を所謂宗敎と區別せる事を曲解せるものにして神道の內容には「儀禮」のみならず、「信仰」ある事は爭ふ可らず、又無かる可らざるなり、もし此信仰を缺如せる儀禮ならんには神道には何等の「力」あることなし、然れども、國民は、祖宗の靈が明かに其子孫及び國家民人を保護すと信ずるが故に神道には「力」あり、祖先の靈位の保護の下に家を成し、族を形くり、更に之を綜合せる宗敎即ち皇室の遠祖即ち皇祖皇宗の靈位の保護の下に、我日本帝國を形くる、渾然として離散す可らざる一大有機體なり、其所に萬世動かす可らざる秩序あり、數千年に涉り此一大事實に依りて馴致せられたる國民は、敎えずとも父祖を敬愛し、又宗家即ち皇室を尊奉す、前者を孝と云ひ後者を忠といふ、學者或は之を忠孝一本と名く、事理同一にして、忠を盡す事はやがて孝道に協ふを云ふなり、斯くて國家として最も自然的に最も鞏固に存在する事を我國體の特色となす。

或は、此國家の綜合家族制なる事を以て立國の根本義とせる事を批難して、斯くては我帝國が現在すでに朝鮮、臺灣、樺太を加へ、今後他民族をも加へて益々發展するに當りて支障を生ずべしとする人あり、然れどもそは止むを得ざる事なり、根幹となる所の我大和民族の國家を磐石の安きに置けば、發展と共に漸々附屬し來る所の民族は、之に臨むに權威と恩惠とを以てすれば可なり、若し新附の民族をも同一樣の範型に容れ得べき立國根本義を求めんと欲せば必ずしも難きにあらざるべしと雖も、到底綜合家族の如く堅固なる能はざるは明なり。

或は天孫降臨の神勅によりて我國體は定まるとするもの多し、然れど誤れり、神勅の有無に拘らず、我國家の社會的成因が吾萬世一系の皇位を肯定し、其他を否認するものなり、神勅は只其事實を表明せるものに過ぎず、我神代史は歷史と神話と相半するに似たり、或は神勅を以て、一の神話にして國民の理想を表明すれども歷史事實にはあらずと思考するものあり、然れども我國體論に於ては神勅が眞事實なると、將神話なるとは根本問題にはあらず、神勅が史實なるにもせよ、神話即ち民族的理想の表明なるにもせよ、我社會的事實に變る事なく、我國體論に於ては動くことなきなり。

憲法も敎育勅語も、素より嚴存する所の事實を顯彰せるものにして、我國體之に