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依つて定まるものにあらず。

最後に統治權の主體に就きて國法學者の間に甲乙の論あり、一は統治權の主體は國家なりとするもの、他は統治權の主體は天皇なりとするものなり、其云ふ意は前者は國家は國家全體(天皇と國民)の利益の爲めに存在し活動すとし、後者は國家は天皇御一人の利益の爲めに存在し活動すとするものなり、而して後說を持するもの、前者を目して天皇の神聖を犯し、惹て國體の尊嚴を危くするものなりとなす、此說或は當理なるやも知る可らず、然れども我國に於て斯る事を宣明する必要ありや、規定せずとも國民の大多數は數千年來養はれたる忠魂を以て身を捨てゝ皇室に盡さん事を希ひ、又歷代天皇は反對に玉體を後にして國民を憐み給へり、是れ實に我國體の善美なる一表章なり、然るに今冷かなる法理に依りて天皇を神聖視する事を規制せんとす、所謂贔屓の引き倒しにして、下は國民の皇室に對する忠義の熱情に水を注ぎ、上は御歷代の聖德を無にせんとするものなり。要は憲法に、神聖にして犯す可らずとあるに依りて說明し盡されたりと信ず。

此上下睦々、而して互に相犯さゞる社會組織即ち、綜合的家族制の結果として、我國體は其優秀を永遠に涉りて發揮するなり。(大尾)