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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/5

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に手を紛はしながら、御枕上に置きたる御粥やひるなどを若しやとくゝめまゐらすれば、少しめし又󠄂大殿籠りぬ。明け方になりぬるに、鐘の音󠄁聞ゆ。明けなむとするにやと思ふに、いと嬉しくやうやう鴉の聲など聞ゆ。朝󠄁ぎよめの音󠄁など聞くに「明けはてぬ」と聞ゆれば、よし例の人だち驚きあはれなば、かはりて少し寢入らむと思ふに、御格子まゐり、おほとなぶらまかでなどすれば休まむと思ひてひとへを引きかつくを御覽じて、引きのけさせ給へば、猶󠄁な寢そと思はせ給ふなめりと思へば起󠄁きあがりぬ。大い殿の三位「書は御前󠄁をばたばからむ。休ませ給へ」とあればおりぬ。待ちつけて「我も强くてこそ扱ひ參らせ給はめ」といふ。中々かくいふからに堪へがたき心ちぞする。』日の經るまゝに、いと弱󠄁げにのみならせ給へば、この旅はさなめりと見まゐらする悲しさ、唯思ひやるべし。をとゝし〈長治二年〉の御心ちのやうに、あつかひやめ參らせたらむ、何心ち𛁈なむとぞ覺ゆる。又󠄂人「のぼらせ給へ」とよびに來たればまゐりぬ。物まゐらせ試みむとてなりけり。大貳三位御うしろに抱󠄁き參らせて「物まいらせよ」とあれば、小さき御盤にたゞ露ばかりおきあがらせ給へるを見まゐらすれば、今日などはいみじう苦しげに世にならせ給ひたると見ゆ。殿のうしろの方より參らせ給ひけるも、例のやうになどしてまゐらせ給ふこそ𛁈るけれ。この頃は誰もをり惡しければ、打ち𛁈めりならひておはしませば、いかでかは𛁈るからむ。「おとゞく」といみじう苦しげに覺しめしながら、つげさせ給ふ御心のありがたさは、いかで思ひ知られざらむ。かく苦しげなる御心ちに、たゆまずつげさせ給ふ御心の哀に思ひ𛁈られて淚浮󠄁くをあやしげに御覽じて、はかばかし