このページは校正済みです
おはれけるを、土御門の相國、「社頭にて警蹕いかゞ侍るべからむ」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知ることに候ふ」とばかり答へ給ひけり。さて後に仰せられけるは、「この相國北山抄を見て、西宮の說をこそ知られざりけれ。眷屬の惡鬼惡神を恐るゝゆゑに、神社にては、殊に先をおふべきことわりあり」とぞ仰せられける。
諸寺の僧のみにもあらず、定額の女嬬といふこと延喜式に見えたり。すべて數さだまりたる公人の通號にこそ。
揚名介にかぎらず、揚名目といふものもあり。政事要略にあり。
橫川の行宣法師が申しはべりしは、「唐土は呂の國なり、律の音なし。和國は單律の國にて、呂の音なし」と申しき。
吳竹は葉ほそく、かは竹は葉ひろし。御溝にちかきはかは竹、仁壽殿の方によりて植ゑられたるは吳竹なり。
大凡下乘の卒都婆、外なるは下乘、內なるは退凡なり。
十月をかみな月といひて、神事にはゞかるべきよしはしるしたるものなし。本文も見えず。たゞし當月諸社の祭なきゆゑ に、この名あるか。この月萬の神たち、太神宮へ集り給ふなどいふ說あれども、その本說なし。さることならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月諸社の行幸、その例おほし。たゞしおほくは不吉の例なり。
勅勘の所に靱かくる作法、今は絕えて知れる人なし。主上の御惱、大かた世の中のさわがし