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き時は、五條の天神に靱をかけらる。鞍馬にゆきの明神といふも、靱かけられたる神なり。看督長の負ひたる靱を、その家にかけられぬれば、人いで入らず。この事絕えて後、今の世には封をつくることになりにけり。

犯人をしもとにて打つ時は、拷器によせてゆひつくるなり。拷器のやうも、よする作法も今はわきまへ知れる人なしとぞ。

比叡山に大師勸請の起證文といふことは、慈惠僧正書きはじめ給ひけるなり。起證文といふこと、法曹にはその沙汰なし。いにしへの聖代、すべて起證文につきて行はるゝ政はなきを、近代このこと流布したるなり。また法令には、水火にけがれをたてず、入物にはけがれあるべし。

德大寺右大臣殿〈公孝〉、檢非違使の別當の時、中門にて使廳の評定おこなはれけるほどに、官人章兼が牛はなれて、〈そのうちへ入りてイ有〉大理の座のはまゆかの上にのぼりて、にれうち嚙みて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへつかはすべきよし、おのおのまうしけるを、父の相國きゝたまひて、「牛に分別なし。足あればいづくへかのぼらざらむ。尫弱の官人、たまたま出仕の微牛をとらるべきやうなし」とて牛をばぬしにかへして、臥したりける甍をばかへられにけり。あへて凶事なかりけるとなむ。「怪を見てあやしまざる時は、あやしみかへりてやぶる」といへり。

龜山殿たてられむとて、地をひかれけるに、大なる蛇數もしらずこりあつまりたる塚ありけ