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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/347

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り。あまりに深く信をおこして、なほわづらはしく虛言を心えそふる人あり。また何としもおもはで、心をつけぬ人あり。又いさゝかおぼつかなくおぼえて、たのむにもあらず、たのまずもあらで案じ居たる人あり。又まことしくは覺えねども、人のいふことなれば、さもあらむとて止みぬる人もあり。又さまざまに推し心えたるよしして、かしこげにうちうなづき、ほゝゑみて居たれどつやつや知らぬ人あり。また推し出してあはれさるめりと思ひながら、なほあやまりもこそあれとあやしむ人あり。又ことなるやうもなかりけると、手をうつて笑ふ人あり。また心えたれども、知れりともいはず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく知らぬ人とおなじやうにて過ぐる人あり。またこの虛言の本意をはじめより心えて、すこしも欺かず、かまへ出したる人とおなじ心になりて、力をあはする人あり。愚者の中のたはぶれだに知りたる人の前にてはこのさまざまの得たる所、詞にても顏にても、かくれなくしられぬべし。ましてあきらかならむ人の、惑へるわれらを見むこと、掌の上のものを見むがごとし。但しかやうのおしはかりにて、佛法までをなずらヘいふべきにはあらず。

ある人久我畷を通りけるに、小袖に大口きたる人、木造の地藏を田の中の水におしひたしてねんごろにあらひけり。心えがたく見るほどに、狩衣の男二三人いできて、「こゝにおはしけり」とてこの人を具していにけり。久我內大臣殿〈通基〉にてぞおはしける。よのつねにおはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。

東大寺の神輿東寺の若宮より歸座の時、源氏の公卿まゐられけるに、この殿大將にてさきを