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けるひじりは、あまりにこの世のかりそめなることを思ひて、しづかについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありけり〈如元〉。
應長のころ、伊勢の國より女の鬼になりたるをゐてのぼりたりといふことありて、そのころ二十日ばかり、日ごとに、京白川の人、鬼見にとて出でまどふ。「昨日は西園寺に參りたりし。今日は院へまゐるべし。たゞ今はそこそこに」などいひあへり。まさしく見たりといふ人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。そのころ東山より、安居院へんへまかり侍りしに、四條よりかみざまの人、みな北をさしてはしる。「一條室町に鬼あり」とのゝしりあへり。今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更にとほりうべうもあらず立ちこみたり。「はやく跡なき事にはあらざめり」とて人をやりて見するに、大かたあへるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては鬪諍おこりて、あさましき事どもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虛言は、このしるしを示すなりけり」といふ人も侍りし。
龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民におほせて、水車を作らせられけり。おほくのあしをたまひて、數日にいとなみ出してかけたりけるに、大かためぐらざりければ、とかくなほしけれども、終にまはらでいたづらにたてりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかにゆひてまゐらせたりけるが、おもふやうにめぐりて、水を汲み入るゝことめでたかりけり。よろづにその道を知れるものは、やんごとなき