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ゝる世をも問ひ給はぬは、このさるまじき御中の違ひにたれば、こゝをもけうとくおぼすにやあらむ。かく事の外なるをも知り給はでと思ひて御文奉るつひでに、

 「さゝがにの今はと限るすぢにてもかくてはしばし絕え〈じ脫歟〉とぞ思ふ」

と聞えたり。かへり事なにくれといと哀に多くのたまひて、

 「絕えきとも聞くぞ悲しき年月をいかにかけこしくもならなくに」。

これを見るにも見聞き給ひしかばならぬ〈二字どイ〉思ふに、いみじく心ちまさりて、詠めくらすほどに文あり。「文もすれど返り事もなく、はしたなげにのみあめれば、つゝましくなむ。今日もと思へども」などぞあめる。これかれそゝのかせばかへりごと書くほどに日暮れぬ。又いきもつかじかしと思ふほどに見えたる。人々「猶あるやうあらむ。つれなくてけしきを見よ」などいへば、思ひかへしてのみあり。「愼む事のみあればこそあれ。さらに來ずとなむ我は思はぬ。人のけしきばみくせぐせしきをなむあやしと思ふ」など、うらなくけしきもなければけうとく覺ゆ。「つとめては物すべき事のあればなむ。いま明日明後日の程にも」などあるに誠とは思はねど、思ひ直るにやあらむと思ふべし。若しはたこの度ばかりにやあらむと試みるにやうやう又日數過ぎ行く。さればよと思ふにありしよりもげにものぞ悲しき。つくづくと思うつゞくることは猶いかで心として祈にもえにしがなと思ふより外のこともなきを、唯この一人ある人を思ふにぞいと悲しき。人となしてうしろやすからむ女などに預けてこそ、しかも心安からむとは思ひしか、いかなる心ちしてさすらへむずらむと思ふに、猶いと死に