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どそゝのかす。かゝる所にては物などいふ人もあらじかしと思へども、日の暮るればわりなくて立ちぬ。いきもて行けば栗田山といふ所にぞ京よりまづ持ちて人來たる。「この晝殿〈兼家〉におはしましたりつ」といふを聞くいとぞあやしき。なきまをうかゞはれけるとまでぞ覺ゆる。さてなどこれかれ問ふなり。我はいとあさましうのみ覺えて來着きぬ。おりたれば心ちいとせむかたなく苦しきに、とまりたりつる人々出でまして問はせ給ひつれば、ありのまゝになむ聞えさせつる。なさ〈さ衍歟〉どこのこゝ〈こ衍歟〉ろありつる。あしうも來にけるかなとなむありつるなどあるを聞くにも夢のやうにぞ覺ゆる。又の日はこうじ暮して明くる日、幼き人殿へと出で立つ。あやしかりける事もや問はましと思ふも物憂けれど、ありし濱べを思ひ出づる心ちの忍びがたきにまけて、

 「うき世をばかばかりみつの濱べにて淚になごりありやとぞ見し」

と書きて、「これ見給はざらむほどにさしおきて、やがて物しね」と敎へたれば「さしつ」とて歸りたり。もし見たるけしきもやとしら〈ら衍歟〉た待たれけひかし。されどつれなくてつごもり頃になりぬ。さいつ頃つれづれなるまゝに草どもつくろはせなどせしに、あまたわかなへの生ひたりしを取り集めさせて、やの軒にあてゝ植ゑさせしが、いとをかしうはらみて、水まかせなどせさせしかど、色づける葉のなづみて立てるを見ればいと悲しくて、

 「いなづまのひかりだにこ〈みイ〉ぬやがくれは軒ばのなへもものおもふらし」

と見えたる。』貞觀殿の御かた〈重明親王北方〉はをとゝしないしのかみになりにたまひにき。あやしくか