Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/85

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難くいかゞはせむ、形をかへて世を思ひ離るやと試みむも、語らへば又深くもあらぬなれどいみじうさくりもよゝと泣きて「さなりたまはゞまろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは世にもまじろはむ」とて、いみじくよゝと泣けば、我もえせきあへねどいみじさに、たはぶれにいひなさむとて、さて「たかくはてはいかゞし給はむずる」といひたれば、やをら立ち走りてしすゑたる鷹をきりはなちつ。見る人も淚せきあへず。まして日暮しかたき心ちに覺ゆるやう、

 「あらそへば思ひにわぶるあまく〈もに脫歟〉まづそる鷹ぞかなしかりける」

とぞ。日暮るゝ程は〈にカ〉文見えたり。天下〈の脫歟〉そらごとならむと思へば「唯今心ち惡しくて、漸今は」とてやりつ。』七月十日にもなりぬれば世の人さわぐまゝにぼにの事年頃はま心にものしつるもはなれやしぬらむと哀なま人も悲しうおぼすらむかし。しばし試みてすら齋もせむかしと思ひつゞくるに、淚のみだり暮すに例のごと調じて文添ひてあり。「なき人をこそ思し忘れざりけれとをしからで悲しきものになむ」と書きてものしけり。かくてのみ思ふに猶いと怪し。「珍しき人に移りてなどもなし。俄にかゝる事を思ふに心さへ知りたる人のうせ給ひぬる、小野の宮のおとゞ〈實賴〉の御めしうどどもあり。これらをぞ思ひかくらむ。近江ぞあやしきことなどありていろめく者なめれば、それらにこゝに通ふと知らせじとかねて斷ち置かむとならむ」といへば、聞く人「いでや、さらずともかれらいと心安しと聞く人なれば、何かはわざわざしうかまへ給はずともありなむ」などぞいふ。「もしさらずば光〈先カ〉だいのみこたちが