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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/82

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てたり。皆おろしたればしき波によせてなごりにはなしといひふるしたるかひもありけり。しりなる人々は落ちぬばかりのぞきてうちあらす程に天下〈にイ有〉見えぬものども取りあげまぜて騷ぐめり。若きをのこもほどさし放れで、なみ居て「さゞなみや志賀の唐崎」など、例のかみ聲振り出したるもいとをかしう聞えたり。風はいみじう吹けども木蔭なければいと暑し。いづらか〈しイ有〉みづにと思ふ。ひとしのをりはき〈八字ひつしはかりイ〉にはてぬれば歸る。ふり難く哀と見つゝ行き過ぎて山口に至りかゝればさるのはてばかりになりにたり。ひぐらしさかりとなき滿ちたり。聞けばかくぞ覺えける、

 「鳴きかへる聲ぞきほひて聞ゆなるまちやしつらむ關のひぐらし」

とのみいへる。人にはいはず。走井にはこれかれ馬うちはやして先だつもありて至りつきたれぱ、さき立ちし人々いとよくやすみすゞみて、心ちよげにて車かきおろす所により來たれば、しりなる人、

 「うらやまし駒のあしとく走井の」

といひたれば、

 「しみづにかげはよどむものかは」。

近く車寄せてあてなる方に、幕るとる〈三字などひイ〉きおろして皆おりぬ。手足もひたしたればこゝちもの思ひはるけるやうにぞ覺ゆる。石どもにおしかゝりて水やりたる樋のうへにをしきどもすゑて、ものくらひて手づからすゐえなどする心ちいと立ち憂きまであれど、日暮れぬな