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さもあらぬにやみなむかしと思ふも哀なり。

 「花に咲き實になりかはる世を捨てゝ浮葉の露とわれぞ消ぬべき」〈道綱母〉

など思ふまで日を經て同じやうなれば心細し。よからずばとのみ思ふ身なれば露ばかり惜しとにはあらぬを、唯この一人ある人いかゞせむとばかり思ひつゞくるにぞ淚せきあへぬ。猶怪しく例の心ちに違ひて覺ゆるけしきも見ゆべければ、やんごとなき僧など呼びおこせなどしつゝ試みるに更にいかにもいかにもあらねば、かうしつゝ死にもこそすれ、俄にてはおぼしき事もいはれぬものにこそ、あは〈なイ〉れ、かくて果てなばいとくちをしかるべし、あるほどにだにあらば思ひあらむにたがひても語らひつべきをと思ひて、脇息におしたがへりて書きける事は「命なかるべしとのみのたまへ。見えて〈て衍歟〉奉りてむとのみ思ひつゝありつるにこゝら〈虛言イ〉よもやな〈あイ〉りぬらむ。怪しく心細き心ちのすればなむ。常に聞ゆるやうに世に久しきことのいと思はずなれば塵ばかり惜しきにはあらず。唯この幼き人〈道綱〉の上なむいみじく覺え侍る。物かお〈かたカ〉りける戯ぶれにも御氣色の物しきをば、いと侘しと思ひてはんべるめるをばいとおほき〈けカ〉なる〈きカ〉事なくて侍らむ。さは御氣色など見せ給ふな。いと罪深き身に侍ら〈れカ〉ば、

  風だにも思はぬ方によせざらばこの世のことはかの世にも見む。

侍らざらむよにさへうとうとしくもてなし給ふ人〈ひて〉あらば、つらくなむ覺ゆべき。年こゝろ〈三字頃カ〉御覽じ果つまじく覺えながらかばかりもはてざりける御心を見給ふれば、それいとよくかへりみさせ給へ。讓り置きてなど思ひ給へつるもしるく、かくなりぬべかめればいと長く