コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/70

提供:Wikisource
このページは校正済みです

くへも知らずちりぢり別れ給ふめるぞ、御ぐしおろしなどすべていへばおろか〈に脫歟〉いみじ。おとゞも法師になり給ひにけれど、强ひて帥になし奉りて追ひくだし奉る。そのこゝろをいたみ〈七字ころほひたゞこイ〉の事にて過ぎぬ。身の上をのみするにきには入るまじきことなれども、〈か脫歟〉なしと思ひ入りしも誰ならねば記し置くなり。そのま〈へ脫歟〉の五月雨の二十よ日のほど物忌もあり。長きしやうじも始めたる人〈兼家〉山寺に籠れり。雨いたく降りて詠むるに、いとあやしく心細き所になむなどもあるべし。返り事に、

 「時しもあれかく五月雨と〈一字のたカ〉まさかにをち方人のひと〈をイ〉もこそふれ」

とものしたる返し、

 「ましみづのまして程ふる物ならばおなじぬれ〈まカ〉にもおる{{*|りカ}}も立ちなむ」

といふ程に閏さ月にもなりぬ。晦日より何ご〈こ脫歟〉ちにかあらむ、そこはかとなくいと苦しけれど、さばれとのみ思ふ。命をしむと人に見えずもありにしがなとのみ念ずれど、見聞く人たへ〈だカ〉ならで芥子やきのやうなるわざすれど、猶しるしなくて程ふるに、人はかくきよまはるほどゝて例のやうにも通はず。新しき所造るとて通ふたよりにぞ立ちながらなど物して,いかにぞなどもある。心ち弱く覺ゆるにおしかこ〈み脫歟〉て悲しく覺ゆる夕暮に例の所より歸るとてはすの實一本を人して入れたり。「暗くなりぬれば參らぬなり。これ彼處のなるを見給へ」となむいふ。返り事には唯「生きて生けらぬと〈き脫歟〉こえよ」といはせて思ひ臥したれば、哀れげにいとをかしかなる所を、命も知らず人の心も心も〈二字衍歟〉知らねばいつしか心見せむとありしも、