Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/69

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くてぞあるべかりける。家に錦を着てとこそいへ。故鄉へも歸りなむと思ふ。』三月三日せくなど物したるを、人なくてさうざうしとてこゝの人々かしこの侍にかう書きてやるあり。戯ぶれに、

 「もゝの花すき物どもをさいわうがそのわたりまで尋ねにぞやる」。

即かいつれて來たり。おろしいだし酒飮みなどして暮しつ。中の十日のほどにこの人々方分きて小弓のことせむとす。かたみに出でいるとぞし騷ぐ。しりへの方の限こゝに集りてなす日、女房にかけもの乞ひたれば、さながらに、物や忽に覺えざりけむ、侘びざれに靑き紙を柳の枝に結びつけたり。

 「山風のまへ〈ほイ〉よりふけばたこの春のやなぎのいとはしりへにぞよる」。

かへし口々したる〈れイ〉ど忘るゝ程押しはからなむ。一つはかくぞある、

 「數々に君かたよりて引くなればやなぎのまゆもいまぞひらくる」。

つごもり方にせむと定むる程に世の中にいかなる咎勝りたりけむ。てんけ〈三字このイ〉人々流さるゝとのゝしる事いで來て紛れにけり。廿五日六日の程に西の宮の左のおとゞ〈高明〉流され給ふ。見奉らむとて天の下ゆすりて西の宮へ人走り惑ふ。いといみじき事かなと聞く程に人にも見え給はで逃げ出で給ひにけり。あたごになむときよ〈聞えカ〉しほ〈ど脫歟〉になどゆすりて遂に尋ね出でゝ流し奉ると聞くに、あいなしと思ふまでいみじう悲しく心もとなき身だにかく思ひしりたる人は袖をぬらさぬといふ類ひなし。あまたの御子供もあやしき國々の空になりつゝ行