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蜻蛉日記卷中
かくはかなくかう年立ち歸るあしたにはなりにけり。年頃あやしく世の人のする事忌などもせぬ所なればや、かうはあらむと思ひ置きてゐざり出づるまゝに「いづらこゝに人々今年だにいかで事忌などして世の中試みむ」といふを聞きてはらからと覺しき人まだ臥しながらもの聞ゆ。「天地を袋に縫ひて」とすずるに、いとをかしくなりて「さらにみ〈年カ〉には三そ日三そ夜は我がもとにともいはむ」といへば、前なる人々笑ひて「いと思ふやうなる事にも侍るかな。同じくばこれを書かせ給ひて殿にやは奉らせ給はぬ」といふ。臥したりつる人も起きて「いとよき事なり。てん〈如元〉けのしはうにもまさらむ」など笑ふ笑ふいへばさながら書きてちひさき人〈道綱〉して奉れたれば、この頃時の世の中人にて人はいみじく多く參りこみたり。內へも疾くとていと騷がしげなりけれどかくぞある、今年はさ月二つあればなるべし、
「年ごとにあまれは〈るイ〉こひる〈かイ〉君がため閏月をばおくにやあるらむ」
とあればいはひそしつと思ふ。又の日こなたあなたげすのなかより事出で來ていみじき事どもあるを、人はこなたざまに心寄せていとほしげなるけしきにあれど、我はすべて近きかすることなり。悔しくなど思ふ程に、家うつりとかせらるゝ事ありて我は少し離れたる所に渡りぬれば、わざときらきらしくて日まぜなどにうち通ひたれば、はかなうち〈一字のちイ〉には猶か