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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/67

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じろは御覽ずとてこゝになむものし給ふ」といふ人あれば、「かうてありと聞き給へらむをまうでこそすべかりけれ」など定むるほどに紅葉のいとをかしきえだに、きじひをなどをつけて、「かうものし給ふと聞きてもろともにと思ふもあやしう、ものなき日にこそあれ|とあり。御かへり「こゝにおはしましけるを唯今侍らひかしこまりは」などといひてひとへぎぬぬぎてかづくさながらさし渡りぬめり。又鯉鱸などしきりにあめり。あるすきものども醉ひあつまりて「いみじかりつるものかな。御車のつぎのわ〈いカ〉たのほどの日にあたりて見えつるは」ともいふめり。車のしりの方に花紅葉などやさしたりけむ、家の子とおぼしき人「近う花咲き實なるまでなりにける日頃よ」といふなればしりなる人もとかくいらへなどするほどに、あなたへ舟にて皆さしわたる。ろなうゑはむものぞとて皆酒飮むものどもを選りてゐて渡る。川の方に車むかへ榻立てさせてふた舟にて漕き渡るまで醉ひ惑ひて歌ひ歸るまゝに「御車かけよかけよ」とのゝしれば、困じていと侘しきにいと苦しうて來ぬ。あくればごけいのいそぎ近くなりぬ。こゝにし給ふべき事それぞれとあれば、いかゞはとてし騷ぐ。儀式の車にてひきつゞき〈た脫歟〉り。しもの〈づカ〉かへ手振などかく〈へイ〉しいけば、いろふしに出でたらむこゝちして今めかし。月立ちては大ざう會のけみ〈二字ごけいカ〉やとし騷ぎ、我も物見のいそぎなどしつるほどに、晦に又いそぎなどすめり。かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬ身をし歎けば、聲あらたまるもよろこぼしからず。猶物はかなきを思へばあるかなきかの心ちするかげろふのにきといふべし。