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又の日の暮に參り給ひぬ。』五月にみかどの御服ぬぎにまかで給ふに、さきのごとこなたになどあるを、「夢にものしく見えし」などいひてかなたにまかで給へり。さてしばしば夢のさとしありければ、ちがふるわざもがなとて、七月、月のいとあかきにかくのたまへり、

 「見し夢をちがへ侘びぬる秋の夜に寐難きものと思ひしりぬる」。

御かへり、

 「さもこそはちがふる夢はかたからめ逢はで程經る身さへ憂きかな」。

たちかへり、

 「逢ふと見し夢になかなかくらされてなごり戀しくさめぬなりけり」

とのたまへれば、又、

 「こと絕ゆるうつゝや何ぞなかなかに夢はかよひぢありといふものを」。

又「こと絕ゆるは何事ぞ。あなまがまがし」とて、

 「かはと見てゆかぬ心を詠むればいとゞゆゝしくいひや果つべき」

とある、御かへり、

 「渡らねばをち方人になれる身を心ばかりはふち瀨やはわく」

となむ、夜一夜いひける。かくて、年頃願あるをいかで泊瀨にと思ひ立つを、む月にと思ふをさすがに心にしまかせねばからうじて九月に思ひ立つ。たゞむ月には大嘗會の御けいこれより女御御たいいでたゝるべし。これ過ぐして諸共にやはとあれど、我が方の事にしあらね