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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/64

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ば、忍びて思ひ立ちて日惡しければ門出ばかり法正寺のべにして、曉より出で立ちてうまの時ばかりに字治の院に至りつゝ見やれば、木の間より水のおもてつやゝかにていと哀なる心ちす。忍びやかにと思ひて人あまたもなうて出で立ちたるも、我が心の怠りにはあれど、我ならぬ人なりせばいかにのゝしりてと覺ゆ。車さしまはして幕など引きて、しりなる人ばかりを下してかはり〈べカ〉に向へてすだれ卷きあげて見れば網代とて〈しもカ〉にし渡したり。行きかふ舟とてあまた見ざりし事なれば、すべてあはれにをかし。しか〈りカ〉の方を見れば來こうじたるげすどもあ〈やイ有〉しげなるゆや梨やなどをなつかしげにもたりて食ひなどするも哀に見ゆ。わりに〈ごカ〉などものして舟に車搔きすゑて急ぎもていけば、にへのゝ池泉河などいひつゝも〈とカ〉りどて〈もカ〉居などしたるも心にしみて哀にをかしう覺ゆ。かい忍びやかなれば萬につけて淚もろく覺ゆ。その泉河もわたりて橋寺といふ所にとまりぬ。酉の時ばかりにおりて休みたれば、はたにとしろ〈六字はたご所カ〉と思しきる〈にカ〉〈ちイ有〉より切大根ものしなしてあへしらひてまづ出したり。かゝる旅立ちたるわざどもをしたりしこそあやしう忘れがたうをかしかりしか。明くれば川渡りていくに柴垣しわたしてある家どて〈もカ〉を見るに、いづれならむよもの物語の家など思ひいくにいとぞ哀なる。今日も寺めく所にとまりて又の日はつばちといふ所にとまる。又の日霜のいと白きに、詣でもら〈しカ〉歸りもするなめり。脛を布の端して引きめぐらかしたるものどて〈もカ〉ありきちがひ騷ぐめりしとみさしあげたる所に宿りて、湯わ〈かイ有〉しなどする程に見ればさまざまなる人のいきちがふ、おのがじゝは思ふ事こそはあらめと見ゆ。とばかりあれば文捧