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 「かたごひやくるしかるらむやまがつのあふごなしとは見えぬものから」

と聞えたればみるのひきぼしの短くちぎりたるをゆひ集めて、木のさきに荷ひかへさせて細かりつるかたの足にもとのこひをもけづりつけて、もとのよりも大きにてかへし給へり。見れば、

 「やまがつのあと〈一字ふごイ〉まち出でゝくらぶればこひまさりけり〈るカ〉方もありけり」。

日たくれば節供まゐりなどすめる。こなたにもさやうになどして、十五日にも例のごとして過ぐしつ。』三月にもなりぬ。まらうどの御かたにとおぼしかりける文をもて違へたり。見れば、「なほしもあらで近きほどに參らむと思へど、われならでと思ふ人や侍らむとて」など書いたり。年頃見給ひなりにたればかうもあるなめりと思ふに、猶もあらでいとちひさく書いつく。

 「松山のさし越えてしもあらじよを我によそへて騷ぐ波かな」

とて、「あの御方みもかく〈にもてイ〉まゐれ」とて返しつ。見給ひてければ即ち御返りあり。

 「ましまえ〈つしまイ〉の風にしたがふなみなれやよするかたこそ立ちまさりけれ」。

この御方春宮〈円融院〉の御親のごとして侍ひ給へば參り給ひぬべし。かうてやなど度々しばしばの給へば宵のほどに參りたり。時しもこそあれあなたに人の聲すれば「そゝ」などのたまふに、聞きも入れねばよひまどひし給ふやうに聞ゆるを「ろなうむつかられ給はゞや」との給へば「乳母なくとも」とてしぶしぶなるに、ものあゆみ來て聞えたてばのどかならで返りぬ。