Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/60

提供:Wikisource
このページは校正済みです

騷ぐめるものなれば、獨寐のやうにて過ぐしつ。三月晦方にかりのこの見ゆるを「これ十づゝ重ぬるわざをいかでせむ」と手まさぐりにすゞしの糸を長う結びて,一つ結びては、ゆひゆひして引きたてたればいとようかさなりたり。猶あるよりはとて九條殿の女御殿の御方〈登子〉に奉る。卯の花にぞつけたる。何事もなく唯例の御文にて端に「この十かさなりたるはかうても侍りぬべかりけり」とのみ聞えたる。御かへり、

 「數知らす思ふこゝろにくらぶれば十かさぬるもものとやは見る」〈登子〉

とあれば、御かへり。

 「思ふことしらではかひやあらざらむかへすがへすもかずをこそ見め」〈道綱母〉

それより五の宮になむ奉れ給ふと聞く。』五月にもなりぬ。十よ日にうち〈村上天皇〉の御藥のことありてのゝしるほどもなくて、二十よ日のほどにかくれさせ給ひにぬ。東宮〈円融院〉即ちかゝり居させ給ふ。東宮の亮といひつる人〈兼家〉は藏人のとうなどいひてのゝしれば、悲しびは大かたの事にて、おほん喜ろ〈びカ〉といふことのみ聞ゆ。あひ答へなどして少し人の心ちすれど、私の心は猶同じことあれど、引きかへたるやうに騷がしくなどあり。みさゝぎや何やと聞くに時めき給へる人々いかに思ひやり聞ゆるあはれなり。やうやう日頃になりて貞觀殿の御方にいかになど聞えけるついでに、

 「世の中をはかなきものとみさゝぎの埋るゝ山になげくらむやう〈ぞカ〉」。

御かへりごといと悲しげにて、