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世に心ゆるびなきなむ侘しかりける。』九月になりて、世の中をかしからむ、物人〈へカ〉詣でせばや。かう物はかなき身の上も申さむなど定めていと忍びあ〈たカ〉る所にものしたり。ひとはさみのみてぐらにかう書きつけたりけり、まづしものみ社に、
「いちじるき山口ならばこゝながら神の氣色を見せよとに〈ぞカ〉思ふ」。
中のに、
「いなりやま多くの年ぞ越えにけり〈如元〉いのるしるしの杉をたのみて」。
はてのに、
「神々とのぼり下りはわぶれどて〈もカ〉まださかゆかぬこゝろ〈ちカ〉こそすれ」。
又同じ晦に、ある所に同じやうにて詣でけり。ふたはさみつゝしものに、
「かみやせくしもにやみくづ積るらむ思ふこゝろの行かぬみたらし」。
又、
「榊葉のときはかきはにゆふしでやかたくるしなるめな見せそ神」。
又上のこ〈にカ〉、
「いつしかもいつしかもとぞ待ちわたる森のた〈ひカ〉まより光見むまを」。
又、
「ゆふだすき結ぼゝれつゝ歎くこと絕えなば神のしるしと思はむ」
などなむ、神の聞かぬ所に聞えごちける。』秋はてゝ冬は朔つごもりとて〈康保四年〉あしきもよきも