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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/55

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じけれ」といへば皆泣きぬ。みづからはまして物だにいはれず、唯泣きにのみ泣く。かゝるほどに心ちいと重くなりまさりてくる〈ま脫歟〉さし寄せて乘らむとてかき起されて人にかゝりてものす。うち見おこせてつくづくとうち守りていといみじと思ひたり。とまるは更にもいはずこのせうとなる人なむ、「何かかくまかまがしう〈こゝになでふイ有〉事かおはしまさむ。はや奉りなむ」とて、やがて乘りてか〈かイ有〉へてものしぬ。思ひやる心ちいふかたなし。日にふたゝびみたび文をやる。人憎しと思ふ人もあらむと思へとて〈どもカ〉いかゞはせむ。返事はかしに〈こカ〉なるおと〈二字衍カ〉なき人して書かせてあり。みづから聞えぬがわりなき事とのみなむきこえ給へ」などぞある。ありしよりもいたう煩ひまさると聞けば、いひしことみづから見るべうもあらず。いかにせむなど思ひ歎きて、十よ日にもなりぬ。讀經修法などしていさゝか怠りたるやうなればゆふのこと〈三字つかたカ〉みづから返りごとす。いとあやしう怠るともなくて日を經るに、いとまどはれし事はなければにやあらむ、おぼつかなき事などひとまにこまごまと書きてあり。「物覺えにたればあらはになどもあるべうもあらぬを、夜のまに渡れ。かくてのみ日を經れば」などあるを、人はいかゞは思ふべきなど思へど、我も又いと覺束なきに立ち歸り同じことのみあるをいかゞはせむとて「車を給へ」といひたればさし離れたる廓の方にいとようとりなししつらひて端に待ち臥したりけり。火ともしたるにい消たせておりたればいと暗うて入らむ方も知らねばあやし。「こゝにぞある」とて手を取りて導く。「などかう久しうはありつる」とて日頃ありつるやうくつし語らひて、とばかりあるに「火ともしつけよ。いい〈い衍歟〉と暗し。更に後めた