Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/54

提供:Wikisource
このページは校正済みです

着たるをぬぎ更へて別れぬ。九月十よ日の程なり。家に來てもなく〈ぞカ〉かくまがまがしくと咎むるまでいみじう泣かる。さて昨日今日は關山ばかりにぞ物すらむかしと思ひやりて月のいと哀なるに詠めやりてゐたる〈れカ〉ば、あなたにもまた起きて琴禪きなどしてかくいひたり、

 「引きとむるものとはなしに逢坂の關の朽ちめのねにぞそぼつる」。

これも同じ思ふべき人なればなりけり、

 「思ひやる逢坂山のせきのねは聞くにもそでぞくちめつきぬる」

など思ひやるに年もかへりぬ。〈康保三年〉三月ばかりこゝに渡る程にして〈もカ〉苦しがりそめて〈兼家〉いとわりなう苦しと思ひ惑ふをいといみじうと見る。いふことは「こゝにもいとあらまほしきを何事もせむにいとびんなかるべければかしこへものしなむ。つらしとなおぼしそ。俄にもいくばくもあらぬ心ちなむするなむいとわりなき。あはれしら〈ら衍歟〉ぬともおぼし出づべきとのなきなむいと悲しかりける」とて泣くを見るに物おぼえずなりて、又いみじう泣かるれば「な泣き給ひそ。苦しさ增る。世にいみじう〈う衍歟〉かるべきわざは心はからぬほどにかゝる別せむなむありける。いかにし給はむずらむ。ひとと〈と衍歟〉りは世におはせじな。さりとておのが忌の中にしらなから〈四字たまふなもしイ有〉死なずばありとて限りと思ふなり。ありとてうちはえ參ら〈るイ有〉まし。おのがさかしからむ時こそ、いかでもいかでも物し給はめと思へば、かくて死なばこれこそは見奉るべき限なめれ」など、伏しながらいみじう語ひて泣く。これかれある人々呼び寄せつゝ「こゝにはいかに思ひ聞えたりとか見る。かくて死なば又對面せで止みなむと思ふこそいみ