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 「しり〈かカ〉もゐぬ君はぬるらむつねに住むところには又戀路だになし。

さもけしからぬ御さまかな」などいひつゝ諸共に見る。あまゝに例の通ひ所にものしたる日例の御文あり。「おはせず」といへは「猶とのみのたまふ」とて入れたるを見れば、

 「とこなつに戀しきことや慰み〈まカ〉むきみがかきほに折ると知らずや」。

さてもかひなければまかりぬるとに〈ぞカ〉ある。』さて二日ばかりありて見えたれば、「これさてなむありし」とて見すれば、「程經にければびんなし」とて「唯この頃は仰せごともなきこと」と聞えられたれば、かくのたまへる、

 「水增りうらもなぎさのころなれば千鳥のあとをふみはまどふる

ところ〈そカ〉見つれ。うらみ給へり〈一字るぞカ〉わりなき。みづからとあるは誠か」と女手にかき給へり。男の手にてこそ苦しけれ。

 「浦がくれ見ることかたき跡ならば汐干をまたむからきわざかな」。

又、宮、

 「うらもなくふみやる跡をわたつ海の汐の干るまも何にかはせむ

とこそ思ひつれ。ことざまにもはた」とあり。かゝるほどにむ〈はカ〉らひのほども過ぎぬらむ。たなばたは明日ばかりと思ふ。忌も三十日ばかりになりにたり。日頃なやましうして〈兼家〉しはぶきなどいたうせらるゝを物のけにやあらむ、加持も試みむ、せば〈き脫歟〉所のわりなく暑きころなるを、水〈れカ〉いもものする山寺へ上る。十五六日になりぬればぼになどするほどになりにけり。