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見ればあやしきさまに荷ひいたゞき、さまざまにいそぎつゝ集まるを諸共に見てあはれがりも笑ひもす。さて心ちもことなることなくて忌も過ぎぬれば京に出でぬ。秋冬はかなう過ぎぬ。』年〈應和三年〉かへりて〈な脫歟〉でふこともなし。人の心のことなる時は、萬おいらにかぞありける。このついたちよりぞ殿上ゆるされてある。みそぎの日例の宮より物見けれはその車に乘らむとのたまへり。御文の端にかゝる事あり、

 「わがとしの  ほんのにかく」。

例の宮にはおはせぬなりけり。まちの小路わたりかとてまゐりたれば「上なむおはします」といひけり。まつ硯こひてかく書きて入れたり、

 「君がこのまちの南にとみにおそきはるにはいまだたづねまゐれる」

とて諸共に出で給ひにける。』そのころほひすぎてぞ例の宮にわたり給へるに、まゐりたればこぞも見しに花おもしろかりき。薄むらむら茂りていとほそやかに見えければ「これ堀りわかたを〈せカ〉給はゞ少し給はらむ」と聞えおきてしを、程へて河原へものするに、諸共なれば「これぞかの宮かし」などいひて、人を入る。まゐらむとするに「をりなきる〈れカ〉いのあれからなむ。一日とりまうす。薄聞えてとさぶらはむ人にいへ」とて引き過ぎぬ。はかなきわらべなれば、ほどなくかへりたるに「宮よりすゝき」といへば、見れば、なり〈がカ〉びつといふものにうるはしう堀りたてゝ靑き色紙に結びつけたり。見ればかくぞ、

 「ほに出でば道ゆく人も招ぐべきやどのすゝきをほるがわりなき〈さイ〉」。