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かくいふ、
「こちといへばおほろふ〈そら歟〉なりし風にいでつけてはとはむあたらなだてに」。
まけじ心にて又
「散らさじとをしみ置きける〈とゞめおきけるイ〉言の葉をきながらだにぞ今朝はとはまし」。
これはさもいふべしとや人ことわりけむ。又十月ばかりにそれはしもやんごとなき事ありとて出でむとするに、時雨といふばかりにもあらず、あやにくにあるに猶出でむとす。あさましさにかくいはる、
「ことわりのをりとは見れど小夜更けてかくは時雨の降りははつべき」。
といふに、强ひて人あらむやは。』ら〈かカ〉うやうなるほどに、かのめでたき所には子產みてしよりすさまじげになりて〈に歟〉たべかめれば人にくかりし心〈に脫歟〉思ひしやうは、いのちはあらせで我が思ふやうにおし返しものを思はせばやと思ひしをさやうになりそ〈もカ〉ていて、はてはうみのゝしりし子さへ死ぬ〈る脫歟〉ものは、そんわうのひかみたりしみ子の落しだねなり。いふかひなくわろき事限なし。唯この頃の知らぬ人のもて騷ぎつるにかゝりてありつるをにはかせ〈せ衍歟〉にかくなりぬれば、いかなるう〈一字こゝカ〉ちかはしけむ。我が思ふには今少しうちまさりて歎くらむと思ふに今に胸はあきたる。今ぞ例の所にうちはらひてなど聞く。されどこゝには例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば心づきなうのみ思ふほどに、こゝなる人〈道綱〉かたことなどするほどになりてぞある。いへとては必「今來む」といふを聞きたりてまねびありて〈くカ〉。かくて