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かりにか」といへば「まづよめかし」といふ。「いかでか、片目もあき仕うまつらでは」といへば「人にも見せよ。唯今召せばとみにて上へ參るぞ。さばかりめでたき物を得ては何をか思ふ」とて皆笑ひ惑ひてのぼりぬれば「人にや見せつらむ。里にいきていかに腹立たむ」など御前に參りてまゝの啓すれば、又笑ひさわぐ。御前にも「などかく物ぐるほしからむ」と笑はせ給ふ。

男はめ親なくなりて親ひとりあるいみじく思へども、煩はしき北の方の出で來て後は、內にも入られず、さう東などの事は乳母、又故上の人どもなどしてせさす。西東の對の程にまらうどにもいとをかしう、屛風さうじの繪も見所ありてすまひたり。殿上の交らひの程口惜しからず人々も思ひたり。上にも御氣色よくて常に召しつゝ、御遊などのかたきには思しめしたるに、猶常に物嘆かしう世の中心に合はぬ心ちして、好々しき心ぞかたはなるまであるべき。上達部の又なきにもてかしづかれたる妹一人あるばかりにぞ思ふ事をもうち語ひ慰め所なりける。

「定澄僧都に袿なし。すゐせい君に衵なし」と言ひけむ人もこそをかしけれ。まことや、下〈高イ〉野にくだるといひける人に、

 「おもひだにかゝらぬ山のさせも草たれかいぶきの里は吿げしぞ」。

ある女房の遠江守の子なる人をかたらひてあるが、同じ宮人をかたらふと聞きて恨みければ、親などもかけて誓はせ給ふ。「いみじきそらごとなり。夢にだに見ず」となむいふ。「いかゞいふべき」といふと聞きて、