Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/381

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いふ詩を高ううち出し給へるめでたうをかしきに、一人ねぶたかりつる目も大きになりぬ。「いみじき折の事かな」と宮も興ぜさせ給ふ。猶かゝる事こそめでたけれ。又の日は夜のおとゞに入らせ給ひぬ。夜中ばかりに廊に出でゝ人呼べば「おるゝか我送らむ」とのたまへば、裳唐衣は屛風にうち懸けていくに、月のいみじうあかくて直衣のいと白う見ゆるに、指貫のなからふみくゝまれて、袖をひかへて「たふるな」といひて率ておはするまゝに「遊子なほ殘りの月に行けば」とずんじ給へる又いみじうめでたし。かやうの事めで惑ふとて笑ひ給へどいかでか猶いとをかしきものをば。

僧都の君の御乳母のまゝと御匣殿の御局に居たれば、をのこある、板敷のもと近く寄り來て「辛いめを見候ひつる。誰にかは憂へ申し候はむ」とてなんど泣きぬばかりの氣色にていふ。「何事ぞ」と問へば、あからさまに「物へまかりたりしまにきたなく侍る所の燒け侍りにしかば、日ごろはがうなのやうに、人の家に尻をさし入れてなむ候ふ。うま寮の、み秣摘みて侍りける家よりなむ出でまうで來て侍るなり。唯垣を隔てゝ侍れば、よどのに寢て侍りける童べもほどほど燒け侍りぬべくなむ。いさゝか物もとうで侍らず」などいひをる。御匣殿も聞き給ひていみじう笑ひ給ふ。

 「みまくさをもやすばかりの春の日によどのさへなど殘らざるらむ」

と書きて「これを取らせ給へ」とて投げ遣れば、笑ひのゝしりて「この坐する人の燒けたりとて、いとほしがりて給ふめる」とて取らせたれば「何の御短じやくにか侍らむ。物幾らば