Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/379

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そ消えもてゆけ。よろしき人は乘りてありくまじき事とこそ猶おぼゆれ。かちぢも又いとおそろし。されどそれはいかにもいかにもつちにつきたればいとたのもしと思ふに。海士のかづきしたるは憂きわざなり。腰につきたる物絕えなばいかゞせむとなむ。をのこだにせばさてもありぬべきを、女はおぼろけの心ならじ。男は乘りて歌などうちうたひてこの栲繩を海にうけありく。いと危くうしろべたくはあらぬにや、海士ものぼらむとてはそのなはをなむ引く。取り惑ひ繰り入るゝさまぞことわりなるや。舟のはたを抑へて放ちたる息などこそまことに唯見る人だにしほたるゝに、落し入れて漂ひありくをのこは目もあやにあさまし。更に人の思ひかくべきわざにもあらぬことにこそあめれ。

右衞門の尉なる者の、えせ親をもたりて、人の見るにおもてぶせなど見ぐるしうおもひけるが、伊豫の國よりのばるとて海に落し入れてけるを、人の心うがりあさましかりける程に、七月十五日ぼんを奉るとていそぐを見給ひて、道命阿じや梨、

 「わたつ海に親をおし入れてこのぬしのぼんする見るぞ哀なりける」

とよみ給ひけるこそいとほしけれ。

又小野殿〈道綱〉の母うへこそは普門寺といふ所に八講しけるを聞きて、又の日小野殿に人々集まりてあそびし文つくりけるに、

 「薪こることはきのふにつきにしを今日はをのゝえこゝにくたさむ」

と詠み給ひけむこそめでたけれ。こゝもとはうちきゝになりぬるなめり。