Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/378

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舟の路。日のうらゝかなるに、海のおもてのいみじうのどかに淺綠のうちたるをひきわたしたるやうに見えて、聊恐しき氣色もなき若き女の衵ばかり着たる。侍の者の若やかなる諸共に、櫓といふもの押して、歌をいみじううたひたるいとをかしう、やんごとなき人にも見せ奉らまほしうおもひいくに、風いたう吹き海のおもてのたゞ荒れにあしうなるに、物もおぼえず泊るべき所に漕ぎつくるほど、舟に浪のかけたるさまなどはさばかりなごかりつる海とも見えずかし。思へば舟に乘りてありく人ばかりゆゝしきものこそなけれ。よろしき深さにてだにさま〈るイ〉はかなき物に乘りて漕ぎ往くべき物にぞあらぬや。ましてそこひも知らずちひろなどもあらむに、物いと積み入れたれば、水ぎはは唯一尺ばかりだになきにげすどもの聊恐しとも思ひたらず走りありき、つゆあらくもせば沈みやせむと思ふに、大なる松の木などの二三尺ばかりにてまろなるを、五つ六つぼうぼうと投げ入れなどするこそいみじけれ。やかたといふ物にぞおはす。されど奧なるはいさゝかたのもし。端に立てる者どもこそ目くるゝ心ちすれ。早緖つけてのどかにすげたる物の弱げさよ。絕えなば何にかはならむ、ふと落ち入りなむを。それだにいみじうふとくなどもあらず。我が乘りたるはきよげに帽額のすきかげ、妻戶格子あげなどして、されどひとしう重げになどもあらねば、唯家の小きにてあり。ことふね見やるこそいみじけれ。遠きはまことに笹の葉を作りてうち散したるやうにぞいとよく似たる。泊りたる所にて舟ごとに火ともしたるをかしう見ゆ。はしぶねとつけていみじうちひさきに乘りて漕ぎありく、つとめてなどいとあはれはり。あとのしら浪は誠にこ