Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/363

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がりやすらむと覺ゆ。からうじて過ぎたれば、車のもとにいみじう耻かしげに、淸げなる御樣どもしてうち笑みて見給ふもうつゝならず。されど倒れずそこまではいき着きぬるこそ。かしこき顏もなきかと覺ゆれど、皆乘りはてぬれば、引き出でゝ二條の大路にしぢ立てゝ物見車のやうにて立ち並べたるいとをかし。人もさ見るらむかしと心ときめきせらる。四位五位六位などいみじう多う出で入り、車のもとに來てつくろひ物いひなどす。まづ院〈一條御母東三條院〉の御迎へに殿を始め奉りて殿上と地下と皆參りぬ。それ渡らせ給ひて後、宮は出でさせ給ふべしとあれば、いと心もとなしと思ふほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼車、一の御車は唐の車なり。それに續きて尼の車、しり口よりすゐさうのずゞ、薄墨の袈裟ぎぬなどいみじくて、簾垂はあげず、下簾も薄色の裾少し濃き。次にたゞの女房の十、櫻のからぎぬ、薄色の裳、紅をおしわたし、かとりのうはぎどもいみじうなまめかし。日はいとうらゝかなれど空は淺綠にかすみわたるに、女房のさうぞくの匂ひあひていみじき織物のいろいろの唐衣などよりもなまめかしうをかしき事限りなし。關白殿その御次の殿ばらおはする限り、もてかしづき奉らせ給ふいみじうめでたし。これら見奉り騷ぐこの車どもの二十立ち並べたるも、又をかしと見ゆらむかし。いつしか出でさせ給はゞなど待ち聞えさするに、いかならむと心もとなく思ふに、からうじて釆女八人馬にのせて引き出づめり。靑末濃の裳、くたいひれなどの風に吹きやられたるいとをかし。豐前といふ釆女はくすししげまさが知る人なり。えび染の織物の指貫を着たれば「しげまさは色許されにけり」と山の井の大